変化への対応
(富士フイルム「第二の創業」に対する私の捉え方)
技術の成長によって生まれた商品が市場や社会を変えた事象の一つとして、デジタルカメラが台頭し写真フィルムが衰退した例が挙げられます。2000年ごろからの写真フィルム市場の衰退によって、写真フィルムに関わってきた大企業の多くが破産や事業撤退しました。
・2001年: Polaroidが経営破綻
・2004年: ILFORDが破産
・2005年: Agfa-Gevaertが破産
・2006年: コニカミノルタが事業撤退
こういった状況を経ても富士フイルムが生き延び成長を遂げている理由については、変化する社会のなかで企業が継続/成長し続けるための成功事例として、コンサルタントの方や経営戦略セミナーなど多くの場で言及されています。「富士フイルムは、写真フィルムで培った技術の棚卸を元に、医薬や化粧品といった新たな事業を始めたから、コダックやアグファのようにつぶれることがなかったのだ」と。
私は、富士フイルムに入社以来ずっと写真フィルム事業に関わりました。そして2006年から2010年は富士フイルム「第二の創業」を進める時期には、技術経営部や技術戦略部といったヘッドクオーター組織で変革の一部(たとえば技術棚卸など)に関与し、その後また開発者として新たな事業に関わりました。
ここでの経験や視点をもって、「富士フイルムの成功」に関するコンサルタントや経営戦略セミナー講師の方の話を何度か見聞きしました。実は私自身も同様の講演をしてしまったことがありますが、違和感を持つことが多くありました。
以下に、私が感じている違和感を4つ挙げたいと思います。
(1)将来を見据えた新規事業の検討や新規事業参入は、ずっと以前からの企業文化としてあったのに、なぜ「第二の創業」時期のこととして認知されるのか
そもそも写真フィルムが衰退する以前から、富士フイルムには「強いもの、賢いものが生き残るのではない。変化に対応できるものが生き残るのだ」という考えがあったと思います。そして実際「第二の創業」のはるか以前から、自らの写真フィルム事業を脅かすような商品を他社に先駆けて開発したり、M&Aなどを通じて新規事業参入したりすることが数多く行われました。以下に富士フイルムのHPで公開されている実例を挙げます。
・写真フィルム以外の撮像~画像形成法としてゼログラフィーや(1961年にランク・ゼロックス社と技術提携)、デジタルカメラに着手(1988年に 世界初のフルデジタルカメラを開発)
・映画用フィルムや8mmフィルムの代替手段ともなる磁気記録材料事業を開始(1963年に放送用ビデオテープを発売)
・レントゲンフィルムの撮像機能を代替するコンピューテッドラジオクラフィー(1981年に世界初のデジタルX線画像診断装置)を開発し、メディカル事業を本格化
・印刷用リスフィルムの市場を奪う刷版を開発し、印刷材料事業として本格化
・刷版に必要なフォトレジスト技術に関係し、半導体レジスト事業に参入(1983年に富士ハントエレクトロニクステクノロジーを設立)
「医薬事業や化粧品事業への参入」は、写真フィルムが衰退する時期に行われたせいか、最大の成功物語のように取り上げられているようですが、もっと過去からの企業文化などにも着目すべきではないかと考える次第です。
(2)「第二の創業」の時期から始めた医薬事業や化粧品事業は、富士フイルムという会社を継続、成長させているなかで、どれだけの貢献寄与を占めているのか
化粧品事業への参入は「第二の創業」の時期に行われ、またコンシューマー市場向け商品としてTVのCMも活発に行われました。このためか「富士フイルムが生き延びることができた主要因」であるかのように思われがちだと思います。
コンシューマー向けの新規事業創出は、富士フイルムのブランド名を一般に認知させ続けまたIR対応としても非常に意義があったと思います。
しかし、売上/利益への貢献といった財務上の効果はどうだったのでしょうか。有価証券報告書の記載で医薬事業や化粧品事業の売上/利益は、長らくインフォメーション事業の中に含められていたため、外部から分かりにくくなっていました。
実態として「第二の創業」の時期に会社を支えていたのは、医薬事業や化粧品事業ではなく、それ以前から開始されていたフラットパネルディスプレイ材料事業、メディカル事業、印刷材料事業、半導体材料事業といった他の事業だったのではないでしょうか。そして、黙して語らない貢献者が多いのではないでしょうか。
(3)特に医薬事業は、写真フィルムで培った技術だけでできる訳がないのに、なぜ「写真フィルムで培った技術を元に」という話がまかり通るのか
確かに写真フィルム開発で強力な力になっていた有機合成や分析/解析技術は、医薬品や化粧品の開発に役立つものでした。「写真で培った技術が使える」という話は、株主の方々から「飛び地に行くのではないか?」「大丈夫なのか?」との懸念を鎮静させるための広報戦略/IR戦略としては重要だったと思います。また、新規事業参入するための戦略を立案するためにコアコンピタンスの整理は必須のことでしょう。
しかし、自社技術の棚卸を行ったとき既に、医薬品開発に必須である生化学や薬学分野に精通した人が「自社のコアコンピタンスである」と言えるほど在籍していたのでしょうか。「写真フィルムで培った技術の棚卸を行った結果に基づいて、医薬や化粧品事業に参入した」と言いきってしまって良いのだろうかと思います。
「新規事業創出のため、まずは富士フイルムのように技術棚卸を行うべし」といった話は、大きなミスリードを起こしていると思います。
(4)新規事業開発/参入だけではない側面も大事だったはずなのに、なぜ他の側面について言及されることが少ないのか
継続的な企業成長に向けて「第二の創業」以前から不断の検討がされ続けていたとはいえ、確かにコンシューマー用写真フィルム市場が衰退した影響は絶大なものでした。ここでは、従来から行われていた新規事業創出/新規事業参入だけではなく、経営陣の刷新、大規模な人員削減や組織変更などが行われ、改革に大きく寄与したと思います。
このような取り組みは、富士フイルムに限らず多くの会社も行っており、また富士フイルムが積極的に対外公表していないためか「富士フイルムが生き延びたのは新規事業参入が上手くいったからこそだ」「他との違いは医薬や化粧品といった新規事業参入ができたかどうかの差だ」との「もっともらしい説明」で済ませ、富士フイルムが行った改革の全体像に対する分析が不足しているようにも思います。
今は私の考えも整理できていません。また上記のような観点は、私がお世話になった富士フイルムの広報戦略にそぐわないであろうことから、これ以上ここに記載することは避けたいと思います。あと何年か経ってから、あらためて振り返りができれば幸いです。